種をまこう!

バレンタインデー・・・それは贈りものをする日。

私の畑のマリーゴールドは、去年一年間、季節を問わず日々与え続けた。虫やカビが出した空気や根茎の土壌を浄化し、雨水を濾過し、翌年のために何千という種を残してくれた。その後、ゆっくりと種の上に葉を落とし、自らの身体を次世代の養分として与えた。

マリーゴールドは毎日、その日を生きるのにちょうど十分な光と水だけを摂り、その存在は鮮やかなオレンジ色で庭を満たした。一年中、見返りも求めず与え続ける。休日も給料もボーナスも感謝の言葉も求めず、恨みも期待もしない。

人間だけが対価を求める。なぜ?本当にしたいことをしていないから?

私たちはいつも感謝の言葉や評価や対価を求める。その一方で、贈りものをする特別な日を設け、それをバレンタインデーと呼ぶ。プレゼン卜やご馳走をもらえるから、自分も贈りものをする・・・?

バレンタインデ一以外の時は与えす、取っていればいい。お金や時聞を奪い、蜜蜂から蜜を、ダイコンの種から食べものを、母鶏たちから卵を奪う。手に入れて保存する。他人が座る前に電車の座席を取る。もし葉っぱのように生きていれば、席を譲る。畑のために種を植える。本当の贈りものは、心に始まり心に終わる。

バレンタインデーって何だろう?頭は論理的に、特別な「贈る日」を設ける。心が従わなくても、何でも頭で決める私たちは、心の声を無視したり「感情的だ」といって軽視したりする。まるで問題解決だけの世界に生きているかのように。自分が信じて想像したことが現実化する。腹も頭に同意していないが、腹の声を聞くことなど300年前にやめてしまった。与えるのは頭か、心か?腹は何と言っている?

与えることとバレンタインデーについて考え直そう。私たちは未来に何を贈るべきか?想像し直してみよう、頭ではなく心で。何が浮かんでくる?

贈りものの意味をもう一度考えよう。見返りも交換条件もない贈りもの。問題解決のためでなく、ただ与えること。シンプルであること、自由であること、自分の望む場所にいることは贈りものだ。本当に正しいところにいる時、私たちは真実と光の谷にいる。それが頭脳による論理的思考と何の関係があろう?バレンタインデーって何だろう?


謝辞:このページは、一般社団法人全国信用金庫協会のご厚意により、業界機関誌「Monthly信用金庫 2014年2月号」掲載の本稿を転載させていただきました。