種をまこう!

玉ねぎには何層もの皮がある。人生経験にもいくつもの層がある。一人の人間にもいくつもの層がある。感情、思考、知識・・・その他、「私」という玉ねぎには、いくつもの層がある。

では、お金はどこに位置するか?お金は私たちの意識の中にある。意識は反復運動をする機械。すでに知っていることを繰り返すばかりで何かを創り出すことはできない。意識は喜んで同じことを何度も繰り返す。なぜいつも同じタイプの異性を好きになる?なぜ同じ過ちをする。なぜ同じ飲み物を飲みたがる?同じ感覚を求めるのはなぜ?

新しいものを創造できるのは魂だけ。想像力は魂の力であり、意識の力ではない。意識は繰り返す。だから、私たちは同じ過ちを繰り返し、同じタイプの人々と出会う。お金も同じ。それは平面的な輪で、次なるレベルへ上昇していく螺旋ではない。

同じことの繰返しで新たな経験を創り出すことはできない。繰返しは意識の産物。つまりお金は意識の道具。ただひたすら繰り返す。その罠にかかって隷属となるか?それとも上手に使いこなし、魂が創造する新しいパターンを築き上げるか?

お金は単なる交換手段ではない。道徳的に中立なものでもない。お金には隠された意図がある。それは「反復運動」と「閉鎖された循環」をするようにできている。同じ人々の間を、同じ軌道に沿って同じ方向に動く。決まった線路沿いに勝者と敗者が配置された八百長ゲーム。お金は、私たちが宇宙と呼ぶこの時空間における時間の罠の一つ。

では金融機関は? 金融機関は私たちの主人か奴隷か? それを決めるのは誰?

真実は、物理的要因に網羅されるものではない。意識の繰返しに囚われるものでもない。真実は魂、現実を創る原動力。それは私たちの本当の姿。お金に封じ込められるものでもない。

かつて日本では、米が社会的交換の手段だった。同様にアイルランドでは家畜が、南太平洋では貝殻が社会的交換手段として使われていた。

社会的交換は必須だが、その手段には何の意昧もない。お金は職業と同じように、意識の繰返しの産物となってしまった。繰返しの牢獄。私たちの真我は、創造することを知っている。でも、意識はお金と同様、ただ繰り返すだけ。
魂の価値は? 現金の価値は?ーもう一度考えてみよう。子どもたちのためにも、私たちには考える責任がある。


謝辞:このページは、一般社団法人全国信用金庫協会のご厚意により、業界機関誌「Monthly信用金庫 2014年12月号」掲載の本稿を転載させていただきました。