種をまこう!

最近、「LVエコ」の人たちが増えている。

LVとは、ルイ・ヴィトンの略。かつての「ヴィトン」ブームは、今や「エコ」ブームに取って代わられている。でも両者の動機は同じ。それは、私たちの外にあるモノを見ているだけで、内なる心から出た欲求ではない。

目に見えるものをつくり出すのは、いつも、目に見えないもの。

もし私たちが、より高いレベルの生き方を真に望むのであれば、内面のレベルを高めなければいけない。そうすれば、外側は内面に応じて自然についてくる。

世界が平和になってほしい、とよく人は言う。「皆人に愛を」「全世界に平和を」…。本当に?

もし、私たちが本当にエコな生き方をして自然と共に生きていたら、それでも平和を希求するだろうか?

私たちが何かを「欲する」限り——たとえそれが「エコ」だとしても——私たちは地球と共に生きていない。

それではただの観光客の域を脱していない。観光客は自分の欲求を満たすためだけにどこかに行き、家に帰る。私たちは未だに自分たちが地球よりも上に位置していると思い込み、自分たち以外のすべての生き物を見下している。

私はこんなこともよく耳にする。「それぞれが自分に合ったエコな生き方をすればいい」と。この真意は、つまり、「変わらなくてもいい」ということ。電気を使ってヘアドライアーをかけて「きれい」に見せる。この「きれい」「かわいい」「いい」「認められる」ことへの欲求こそ、私たちが手放すべきもの。

これらも外側から私たちの行動を支配するもので、私たちは内面を無視している。私たちは、持続可能なあり方から遥かに遠ざかってしまった。この地球上には、持続可能な人口よりも100倍多くの人間がいる。私たちは、取る(TAKE)ものよりも多くを返す(GIVE)必要がある。

どうしたらそれができるか?それこそが私たちが「見る」べきこと、「欲する」のではなく。

欲求は、いろいろなかたちでその顔を見せる。承認の欲求、フードロス、社会的地位、持続可能性、お金、スロー、電気、エコ・ライフ、リサイクル、オーガニック、Facebookでの人気…。

Facebookの人気は、私たちの内面や欲求を反映し得ない。私たちは「見る」必要がある、「考える」のではなく。欲求は、考えや言葉から生まれるのだから。

愛と平和は、戦争と同様、心の牢獄だ。その戦場は違うところにあるが、両者は同じものだ。

私たちが「エコ」について考えもせず、語ることもやめて、私たちの行動そのものが地球や宇宙のリズムと共にある時、本当に「エコ」になる。その時、私たちは平和も戦争も超える。平和も戦争も、精神的な視点の違いに過ぎない。意識こそが、私たちの最大の牢獄だ。

さて、クリスマスやお正月に、あなたは何を返しましたか?


謝辞:このページは、一般社団法人全国信用金庫協会のご厚意により、業界機関誌「Monthly信用金庫 2017年2月号」掲載の本稿を転載させていただきました。